愛神カーマwithFATE
愛の神カーマデーヴァについて思ったことをつらつら書いていきます。
が、基本fateオタクなのでfateのことについて書いていくのです。
愛欲としての単語カーマと、愛を司る神カーマデーヴァとか区別する必要があると思うのですが専門家ではないので無視しますね。
愛神カーマの化身プラデュムナの習得した大いなる幻術(マハーマーヤー)は、純質サットヴァから出来た、あらゆる魔術を無効化できる神術。
— ここのえ (@Gtomo427) March 27, 2019
厨二か!
しかし意味をちゃんと考えると世界観の理に適っているような感じもする#そういうの多い
世界をつくるマーヤーをクリア状態なら見破れるから?
一般的に愛神カーマデーヴァとは
ja.wikipedia.orgまあ、wiki先輩は便利なんですが論文などの確固たる情報源を使用しなければならない場では引用するなと大学などでは口を酸っぱくするほど言われるんですげど。
ここはチラシの裏であり便所の落書きなんで引用してもいいのだ。
カーマデーヴァは、「花の矢を持つ者」を意味する「クスマシャラ」と呼ばれることがあります。カーマデーヴァの持つ花の矢は5つあり、それは、チャンパカ、ロータス、ジャスミン、マンゴー、アショーカといわれます。どれも、香しい芳香を放ち、世界を魅了する麗しい花の数々です。
ネットの海は広大で、こういう知識もある。
一応、大学図書館を愛用中、めちゃくちゃ便利だと思ったので『インド神話伝説辞典』は買ったがあれも完璧ではない。
ja.wikipedia.orgでカーマ単独ではストレートに欲望・欲求のような意味があるそうだ。
そういったものを司る神。
同一視されているのが修行中の仏陀を誘惑した天魔。
fateの愛神カーマ
第一再臨状態のロリでは回す気なんて微塵もなかった。当然ロリじゃなくてもだ。
ちょっと良いなと思ったのはこの第三再臨時の宝具演出。
コズミックな演出に弱い。
深海と宇宙というのは暗闇に仄かな明かりがある、絵的に美しいものの一つ。
で、アサシン・カーマのマテリアル情報。
『愛もてかれるは恋無きなり』
ランク:C 種別:対人宝具
レンジ:2~10 最大捕捉:1人カーマ・サンモーハナ。
愛の神カーマが所有している、
サンモーハナと呼ばれる花の矢。
刺さったものに恋慕の情を呼び起こす効果がある。
『身体無き者』『惑わす者』としての性質が強く
現れている状態の場合、その喪われた肉体そのものが
愛の矢であると解釈される。トラウマがあるため、基本的に他人のためには宝具を使いたがらない。
人の恋愛事に首を突っ込むなんて馬鹿げている、と今の彼女は思っている。恋愛相談など余所でやってほしい。
キューピッド扱いで矢を撃たせる奴なんて死んでしまえ。むしろ、恋とか愛とかキャッキャウフフしてる人たちの邪魔をするのは超楽しいよね……といった『悪い愛の女神』として、
このカーマは開き直ってしまっているのである。
身体無き者:EX
カーマの別名の一つ、『アナンガ(身体無き者)』を
示すスキル。かつてターラカという魔神が神々を苦しめていた。
それを倒せるのはシヴァとパールヴァティーの子だけであると知った神々だったが、そのときシヴァは修行に集中するあまり、パールヴァティーにまったく目を向けていない状態であった。
これに困った神々はカーマを派遣し、シヴァに情欲の矢を撃つことで夫婦の愛を取り戻させようとした。
だがカーマのその行為にシヴァは激怒し、第三の目を開いてカーマを焼き殺してしまったという。万物を、すなわち宇宙を破壊する神である
シヴァの力を直接その身に受け、
灰とされてしまった神性の末路とは―――
面白い文章だな、と思ったのが幾つかある。
『身体無き者』『惑わす者』としての性質が強く
現れている状態の場合、その喪われた肉体そのものが
愛の矢であると解釈される。
五つの愛の矢の解釈。これはカーマの身体が愛の矢――誘惑・魅了を起こす肢体であるという意味として(自分には)思える。
ストレートにそう書いてあるよね??(不安になってくる)
修行中の人を誘惑して怒られた例というのはカーマの他にもある。天女のアプサラス族はカーマのような矢ではなく自身の身体によって誘惑する。この場ではそれと同じなのだろう。そしてこれは後に仏陀に対して誘惑を行ったマーラとの同一性を強調するためなのではないか。
もう一つ。
万物を、すなわち宇宙を破壊する神である
シヴァの力を直接その身に受け、
灰とされてしまった神性の末路とは―――
宇宙という言葉を明確に使用している点である。
型月世界観というのは説明が面倒であるので端折りながら書くのだが。
・神話伝説で宇宙と形容される言葉は実際の(我々の知っている)宇宙ではない。
・伝承そのものが現実のものとなるのは電脳世界でのみ
・菩薩は宇宙レベルの存在規模を持つ天であり、太陽系ぐらいは軽く管理している
神霊と菩薩の違いがどの程度なのかはともかく如来の前段階である覚者がムーンセルにおいて並行世界規模を破壊する(Fate/EXTRA Last Encore)のが現実のものとなっている。例え電脳世界と言えども入力される実数が現実のものと同等な場合、それは現実と何ら変わりない(実体と霊子の違いはある)。
この「宇宙を破壊する神」シヴァとは、
テクスチャ(型月における神話世界)内の宇宙を破壊するのか。
我々の知っている物理宇宙を破壊するのか。
万物という対象を明示しているならば、宇宙という(広大とはいえ所詮は有限である)空間も対象に出来るようにも見受けられる。
もう一つ疑問がある。
神の宝具=神の力であるのが基本である以上、シヴァ神の宝具である「破壊神の手翳」とはシヴァ神の力、すなわち権能を失った基本機能であると考えていい。
シヴァ神とは「破壊と創造を司る」神である。
破壊神の手翳(パーシュパタ)は解脱=即死させる宝具である。
結び付くのか……?
単純に、万物の破壊=解脱による即死作用と捉えていいのか。
どちらかというと無になるイメージ、消滅の方が近い。消滅したものが再生されることはないように思える。破壊と創造は輪廻の内のもので解脱とはその輪から外れることになるのではないか。
解脱という単語がどのような作用をしているのかfgo作中でも謎なんだよな…
身体無き者
第三再臨宝具ボイス①
「サンサーラ・カーマ。
愛の矢という花が、今、虚ろの天に咲き乱れる。
それは、焼かれた私の痛みの果て。身無き神のある処。
私の中で、どうか無限に微睡んで」
第三再臨宝具ボイス②
「さあ、情欲の矢を放ちましょう。
もはや私に身体は無く、全ては繋がり虚空と果てる。
永久に揺蕩う愛の星海。
サンサーラ・カーマ」
愛の矢というより身体無き者の解釈なのだろうが、正直めちゃ好き。
大いなる幻術と世界
マハ―マーヤーと世界。
本題です。
まず前提としてマーヤーとは幻力と訳されていることが多いですが、形をもっているものであるという感性がなければならない。
『マハーバーラタ』のアルジュナの戦車は工芸神トゥヴァシトリによってマーヤーから作られたもの。実体がある。
幻力のマーヤー
そもそもマーヤーとは
神の不思議な霊力または欺きを意味するサンスクリット語。のちには非真実,幻,迷妄,魔術使いの幻力などの意にもなり,インドのある種の哲学者たちは宇宙のあり方を説いて好んでこれを用いた。ベーダーンタ哲学,特にシャンカラの学系によれば,人が真実と思っている現実の世界は無明に基づくもの,つまりマーヤーのようなものであり,われわれの生きている世界は虚妄であるという。
世界を形造る力、型月的に言うなら現象操作術すなわち魔術そのまま。
神霊だって魔術を使うし。ソロモン以前は魔術は神に連なる者限定だった。
古代のインドにおいて、真実の世界を覆い隠すマーヤー(幻影)を最初に創造したのはインドラ神であると、一説に信じられていました。現象世界は神の魔法の行為と捉えられ、宇宙全体はインドラジャーラであると信じられていたといわれます。
ちなみにインドラジャーラを漢訳したものが因陀羅網。
インドラ神の網のこと。インドで一般に魔術の所産の意に用いられた。華厳仏教では,インドラ神の宮殿にある網で,結び目に宝玉がつけられ,宝玉同士が互いに映じ合って,それが無限に映じるとして,重重無尽の理論を説明するのに用いられる。帝網 (たいもう) ともいう。
こういう知識の連鎖的な発見があるからインド神話は辞められない。
愛神カーマの生まれ変わり、クリシュナの息子プラデュムナ
長々とマーヤーの事を引用し続けたのは、ちゃんと愛神カーマと関係がある。
『バーガヴァタ・プラーナ』によれば、後にカーマはクリシュナとルクミニーの子プラデュムナとして再生する。悪魔シャンバラはプラデュムナに殺されるという予言のために、赤子をさらって海に捨てると、赤子は魚に喰われるが、漁師がその魚を捕らえてシャンバラに献じ、料理人がその腹を割くと赤子は無事であった。そこでシャンバラはそれとは知らずに給仕女(あるいは妻)マーヤーヴァティーに渡すと、彼女はその子を育てたが、マーヤーヴァティーは実はカーマの前世の妃ラティであり、かくして二人は再会を果たした。やがてプラデュムナは長じて悪魔シャンバラを殺し、マーヤーヴァティーをともなってクリシュナのもとに凱旋した。
悪魔シャンバラとは『マハーバーラタ』においてドゥルヨーダナの参謀的人物シャクニ(彼もカリ・ユガの化身であるドゥルヨーダナ同様ドヴァーパラ・ユガの化身とされている)の兄であることから、分類としては羅刹であると考えられる。
この悪魔シャンバラは幻術に長けている人物であった。
シャンバラを倒すためにプラデュムナは前世の妻ラティの生まれ変わりマーヤーヴァティーから、ありとあらゆる魔術を無効にし得るマハーマーヤーという幻術を授かる。
(前略)
偉大な戦士であるルクミニーの息子は、それら無数の武器に打たれて呻吟すると、その後、全てのマーヤーを無効にし得る、純粋なサットヴァで出来た神術(マハーマーヤー)を用いて、それらの武器に対処したのでした。
(後略)
『全訳 バーガヴァタ・プラーナ(下)クリシュナ神の物語』訳・美莉亜
効果が強すぎないか???
純質と訳されていることが多いが、サットヴァって具体的に何だという話になる。
サットッヴァ:純粋性・調和
サットッヴァな性質は、純粋性・調和を意味します。サットヴィックな心とは、否定性のない純粋な心でクリアな状態です。
サットッヴァの特徴
- 安定していて物事を公平に見る事ができる
- 正確な判断を下す事ができる
- 誠実な道に従い、向上心がある
汚れや否定性のないピュアな心の状態ですが、この状態の人は非常にまれです。自信があり、やりたい事や目標が明確でもあります。肉体的にも、サットヴィックな人はバイタリティに溢れ非常に健康で、刺激物のないピュアな食べ物を好みます。
瞑想や個々にあったヨガなど無理のない範囲で行い、心身深く満たされています。「今」という状況をきちんと受け入れている状態でもあります。
無断で引用する野郎なのだが、こういう事らしい。
インド神話は数字の桁数がとんでもない(『マハーバーラタ』のクル・クシェートラの戦いでの総死者数は16億人とか)ことで有名だが、神話世界観の根底にあるのは哲学的思想である。
いや神話というのはその社会で共通の哲学が、大なり小なり根底にあるものなのだが、インド神話体系にあるのはアニミズム的哲学ではなく、神話の側から非常に理論立てている。元ネタはもっと前にあったとしても、体系立ったのが紀元前4世紀頃らしいから整理されているのは文明進歩的に妥当なのだが。
つまりサットヴァとマーヤー、マハーマーヤーにも関係性があると考えていい。
マーヤーというのは妄念を生み出すこの世そのもので、サットヴァというのは、本質である魂のもっと純粋な精神性なのでは。
イメージ的には理解しているのだが説明できない(語彙力ぅ!)。
この世界にある欲から解き放たれた、解脱した心。
それを愛欲を司るカーマの化身プラデュムナにやらせるのにも理由がありそうだが明言されていないから思うだけにする。